情報技術が次々に革新されていった平成時代は、流行の拡散スピードが加速していった一方、廃れるのも早かった。流行語を生みだしたお笑い芸人が、毎年のように登場しては消えていく「一発屋現象」は、まさにその象徴とも言えるだろう。ただし、本当に世の中に必要とされるものは、人々のライフスタイルに定着する。意外にも‶平成生まれ″でありながら、今では日本人になくてはならない存在となった商品や店舗を紹介しよう。(Soysauce Magazine Online編集部)
業界に革命を起こした「お~いお茶」
まず、‶平成生まれ″と聞いて驚く商品の代表格は「カルピスウォーター」(アサヒ飲料)ではないだろうか。日本初の乳酸菌飲料「カルピス」が発売されたのは大正8年(1919年)までさかのぼるが、長らくはビン詰の原液で、水で薄めて飲む必要があった。その工程を省いた「カルピスウォーター」が登場したのは平成3年(1991年)。一躍大ヒット商品となった。後藤久美子や内田有紀、長澤まさみ、最近では永野芽郁らを起用した爽やかなテレビCMは、今ではブレイク前の若手女優の登竜門と言っても過言ではない。
平成元年(1989年)に缶入り煎茶の商品名変更で発売された「お~いお茶」(伊藤園)は、「暖かいもの」というこれまでの緑茶の概念を覆し、冷たい緑茶を広めるきっかけとなった。平成2年(1990年)には世界初のペットボトル入り緑茶として業界に革命を起こし、平成12年(2000年)にはホット専用のペットボトルを発売。今年で29回目を数えた俳句大賞とともに、食卓に安らぎを与えている。
炭酸飲料として今でも根強い人気の「C.C.レモン」(サントリー)は平成6年(1994年)に発売された。「レモン50個分のビタミンC」と謳い、特徴的なテレビCMとともに時を経ても大人から子供まで幅広く愛されている。
宴会の席では不動のレギュラーと言える「キリン一番搾り生ビール」(キリン)が世に送り出されたのは平成2年(1990年)。その名の通り、麦から最初にこぼれるうまみの詰まった一番搾り麦汁のみでつくる製法で、雑味のない上質な味わいを生み出した。パッケージデザインを毎年のように変える工夫も施し、現在では40か国以上で販売され、世界中のサラリーマンの喉を潤し続けている。
主婦の救世主と言える電子レンジが完全に一般家庭に普及したのも平成に入ってからだ。「冷凍食品」は次々に商品化され、今では料理人顔負けのクオリティーで多忙な日本人の食卓に欠かせない存在となっている。
平成不況を逆手に取ったダイソー、ドンキ
店舗に目を移すと、バブル崩壊後の平成不況で購買意欲が低迷する消費者心理をうまく捉えたのが100円ショップの「ザ・ダイソー」だ。平成3年(1991年)、高松市に初めての直営店をオープンさせると、100円とは思えない良質な商品を豊富に取りそろえる利便性が受け、爆発的に店舗を増やした。昨年10月現在、国内に3150店舗を展開し、アジアを中心に世界26か国・地域にも出店している。
激安の殿堂「ドン・キホーテ」の一号店が東京都府中市にオープンしたのも平成元年(1989年)で、低価格路線のディスカウントストアとして見事に定着した。
外食産業では、「ガスト」が平成4年(1992年)、東京都小平市に第一号店を構えた。当時としては珍しいセルフ式のドリンクバーや呼び出しベルを導入して人件費を抑えることに成功し、低価格のファミリーレストランとして人気を確立した。
外資系企業が日本に流入してきたのも平成時代の特徴だ。「スターバックス」の一号店が東京・銀座にオープンしたのは平成8年(1996年)。当時の日本の喫茶店としては珍しく店内全面禁煙にし、若い女性客を中心に人気を呼んだ。翌年には競うようにして「タリーズ」が、やはり銀座に一号店を開いてカフェブームを呼んだ。
ちなみに、今では当たり前になったポイントカードだが、平成元年(1989年)に「ヨドバシカメラ」が日本で初めて導入したと言われている。その証拠に、ゴールドポイントカードには、表面にはっきりと「ポイントカードは、ヨドバシカメラが初めに考案したシステムです。」と明記されている。