私は、三方を山に囲まれ、一方が南に向かって開けている港町で筆者は生まれました。
自宅の近くの小高い丘にある公園に行くと、遠くに造船所と港に浮かぶ船舶がよく見えたものです。この海をずっと越えていけば外国。少年時代は海外に渡ることを夢見て過ごしました。中学校で初めて英語を学んだ時、外国語を使って国を超えて仕事をしていく機会にあこがれたものです。
国や地域を超えたビジネスに携わる仕事を「グローバル・ポジション」と呼びます。
多国籍企業で経営にあたるトップ達の仕事は、もちろん皆、このグローバル・ポジションです。最近は、日本の企業による海外企業の買収(トランスボーダーM&A)も増えてきています。中には、自社と同じ、もしくは自社以上の売上規模を持つ、大きな企業を買収するケースも。
このようにして多国籍化した企業には、「グローバル・ポジション」が沢山誕生します。けれども、そのグローバル・ポジションに、日本人が就くことは少ないのが現状です。
日本企業が、海外の企業を買収する目的は様々です。
1990年代後半には「グローバル・フットプリント」、つまり海外での生産拠点や販売網を拡大することを目的としたM&Aが、多くみられました。
2000年代に入ると、自社にない商品やサービス、そして研究開発能力を獲得し、自社の事業ポートフォリオを「多様化」することを目指したM&Aも増加しました。
こうした買収では、欲しかった「製品」や「特許」、もしくは「顧客」を獲得して、目的外の事業や資産は、他社に「切り売り」して済ますのではなく、買収後の企業全体を自社に統合して、経営のシナジー効果を高めるような「統合(PMI:Post-Merger Integration)」を、行っていく必要があります。
この「経営統合」の過程において、多くの日本企業が苦労するのは、日本国内の本社と、海外拠点を含めたクロスボーダーでの事業運営を、ひとまとめに「執行」できる人材が少ないことです。
日本本社の生え抜きの人材には、こうしたグローバル・ポジションで成果を上げることのできる人材が見当たらず、CEOでさえ他社からの「引き抜き」、もしくは買収相手の企業から「抜擢」するようなケースさえあります。
「買収する側」と「買収される側」では、必ずしも利害関係が一致するわけではありません。特に、買収される側は、買収側に対しては「資金力」に対して期待するだけで、できれば「これまでの経営」には立ち入らず、資金だけ提供してくれる「シュガー・ダディ」(砂糖のように甘い父親)を求めていることが多いのです。このような相手方を「統合」して、一つの企業として経営していくためには、二つの能力が必要となります。
「複式簿記」の概念に欠けている、日本のビジネスパーソン
一つ目は「経営システム」の運営能力です。
特に「費用」と「資産」を管理して企業統治を行う能力が、重要になります。企業の経営において「収入」と「費用」しか見ることができない「単式簿記」的な発想では、グローバルに展開するビジネスを運営するには不十分なのです。
国境や地域を超えて移動する「費用」と、それにバランスする「資産」を、同時に管理できる「複式簿記」の考え方が必須なのです。
もともと「複式簿記」は、イタリアで発明されたといわれます。
歴史的に商人の「財政状態」を把握するために使われていた複式簿記は、絶対王政時代のフランスで国家の財政を把握する「統治システム」として使われるようになりました。やがて「複式簿記」は、大航海時代を経て、世界を席巻したイギリスの国家運営や、東インド会社などの企業の運営システムとして広く定着していきました。
「複式簿記」のシステムは、学んだことのある人はよく知っているように、勤勉に帳簿をつけるという「同じ作業」を毎日繰り返す、退屈な作業を基礎にしています。
つまり、勤勉で忍耐強い国民性がなければ、継続することができません。
「簿記」の生まれたイタリアを始め、イギリス以前に世界に君臨したスペインやフランスでは、簿記は金儲けの道具として蔑まれて、廃れていきました。代わりにこれらの国々では文学や美術などの文芸や、人文科学を中心にしたアカデミアが隆盛を極めます。
筆者も一緒に働いていて感じるのですが、一般にイギリス人は、忍耐強く日々のルーチンこなしていく「勤勉な人」が多いように思います。
その国民性もあってでしょうか、イギリスでは社会に「簿記」のシステムが定着し、企業の管理運営に「簿記」を活用するという、社会システムを確立することができました。
こうして「利益」を明確に計算できる企業が増えていき、そこから資本を蓄積して19世紀になって「産業革命」を起こすに至り、20世紀にその地位をアメリカに譲るまで、長い間、世界に君臨することができたのだと考えられます。
つまり、歴史における「イギリスの隆盛」は、イギリス人が「費用」と「資産」を正確に把握できる経営システムを構築し、それを運営する能力に長けていたことに「勝因」があったと考えます。
残念ながら、日本のビジネスパーソンには、この経営の「必須スキル」が欠けているのが現状です。その一番の理由は「勉強してない」から。
もちろん学生時代に「簿記」を勉強して会計士や税理士になる人も多数います。
しかし、企業に就職する学生の大多数は、簿記の基礎知識もないし、インカム・ステートメントやバランス・シートの「数字の意味」を、マネジメント的に解釈することができません。そもそも日本の大学の、特に文科系ではアカデミズムが重視され、経営スキルを積極的に教えようとはしていません。
「価値観」を軽視すると社員の本気を引き出せない
もう一つの必須能力は、企業運営における強い「価値観」を持ち、それを組織のメンバーに伝えて「浸透させる」という能力です。
優れたシステムを運営する際に、よく陥りがちなのは、システムが独り歩きをするようになることです。システムの中で人間の担当範囲が細分化され、システムに人間が「使われている」かのようになるのです。
これに対して、あくまでシステムを人間が使うという原則を守るためには、事業運営において強い「価値観」が必要です。
もちろん、経営のためのシステムは、企業の現状維持には不可欠なものです。
しかし、企業が「変革」や「イノベーション」が必要な「機会」に直面した時、システムを動かす人々に勇気を与え、システムを変更して、新たな行動を促すということは、マネジメントが示す、強い「価値観」にしかできないことなのです。
こうした「価値観」に基づく経営に長けているのが、アメリカの経営者です。
そもそも、イギリスの植民地から独立して、建国の礎となったのは「自由」と「平等」という強い「価値観」でした。アメリカの企業には、自社の理念や価値観を強く打ち出しているところが多数あります。歴史的に影響が強かった、イギリスの企業運営のシステムを受け継ぎながら、その中に自分たちの強い「価値観」を埋め込んだのが、アメリカ的な経営スタイルであるといえるでしょう。
これまで長く、アメリカ系の企業で働いていた筆者の経験からも、アメリカ企業が得意とするのは、危機に面した時の「対応力」や「変革力」であると思います。
日常業務(Business As Usual: BAU)を、しっかりと回す運営システムを持ち、それが機能不全に陥りそうになると、基本的な「価値観」に立ち返って考え直し「新しい発想」や「イノベーション」を起こしていけるのが、アメリカ企業の「価値観とシステムによる経営」の強みだと思います。
この能力においても、残念ながら日本のビジネスパーソンは劣っています。
特に、異なる文化の背景を持つ人々で構成される、多国籍の組織において、構成メンバーに納得してもらえる、普遍的な「価値観」を創り、それをもとに組織内でコミュニケーションしていくことが、巧くありません。
普遍的な「価値観」を持つためには、異なる文化や考え方に「オープンな態度」で接することが、まず求められます。
けれども一般的な日本人は、自分達の文化や価値観が「他国とは異なる」という思いが強いあまり、かえって閉鎖的な態度をとってしまうことがあります。異なることが「劣等感」となって、自分の殻に閉じこもってしまうのかもしれません。
「学び」の質と量の確保は、すでに「福利厚生」だ
「劣等感」を引き起こすのは、語学、特に英語力も一因かもしれません。
「語学」が苦手なことが、コミュニケーションの障害となってしまっているようにも思えます。しかし、実際に英語を公用語化した楽天などでは、社員全員が「高い英語力」を持っています。
楽天の人々が言うには、語学力は単純に「勉強時間に比例」するそうです。
そうすると、実は「語学」に対する「苦手意識」が、語学の勉強から遠ざけて、ますます苦手になるという「悪循環」を引き起こしているのではないでしょうか。
日本人が「グローバル・ポジション」をとれないのは、勉強不足が最大の原因です。
最近「働き方改革」によって、労働時間を削減し、その時間を使って「学び直し」を行おうという機運が高まっています。
このこと自体は「素晴らしい」ことですが、問題は「どこで何を学ぶか?」ということです。企業の人事部は、社員が「グローバルで仕事ができる」ようになるために、必要な知識やスキルを与えてくれる教育機関を見極めて、そこで「学ぶ機会」を提供することを、新たな「福利厚生」として提供することを、検討する時期にきています。
◇中島 豊(なかしま ゆたか)
中央大学ビジネススクール特任教授。東京大学法学部卒。ミシガン大学経営大学院修了(MBA)。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了(博士)。富士通、リーバイ・ストラウス、GMで人事業務に従事し、Gap、楽天、シティ・グループの人事部門責任者を経て現職。企業の人事部門での実務経験を背景に、人的資源管理論や人事政策論を専門とする。【著書】『非正規社員を活かす人材マネジメント』『人事の仕事とルール』『社会人の常識-仕事のハンドブック』(日本経団連出版)【訳書】『ソーシャル・キャピタル』(ダイヤモンド社)『組織文化を変える』(ファースト・プレス)