SNSをきっかけに支援が殺到
西日本豪雨に襲われた平成30年夏の広島県呉市。TwitterやFacebookには、続々と災害情報が上がってきました。呉に特化したWEBメディア『KUREP』を運営している私は、寝る時間も削って、情報ソースを「出来るだけ」確認し、整理して発信し続けました。何しろ、呉は陸の孤島になり、人も物資も情報も、出ることも入ることも厳しくなったのです。
こんなに「悲惨な状況」になっているのに、動く人がいない(動けない)。全体像を把握する情報がない。
私の住む地域から車で30分ほどの呉市安浦町は、かなり被害がひどい、とSNSには助けを求める声がたくさん上がっていました。
「(被災地の)中にいる自分たちが動くしかない!もっと大変な人を助けなくては」。悲壮な覚悟で現場に入ることにしました。
呉市役所と連携しているカメラマンさんに同行し、取材を敢行。カメラマンさんは運転とドローン撮影、私はスマホでの撮影と現場でのヒアリング、そしてSNSでのリアルタイムの情報発信が役割です。
まずは、繋がっていない道から、どうやって被災現場に乗り込むのか。
「国道通行不可。迂回路はありますか?」
「片側ならどうにか通れるみたい」
「手書きの臨時道路マップがどこかにアップされてたよね」
まさに手探りの取材です。それでも助手席に乗り、揺れる悪路の中でTwitterで現状をつぶやいていきます。ようようたどり着いた呉市安浦地区では、まさに絶句。人はキャパオーバーのショックを受けると何も言えなくなるのだな、と実感しました。そこは、まさに戦場でした。(詳しくはこちらで状況をご覧ください<KUREP 「別冊」なんというハードな1日 2018年7月10日>)
西日本豪雨発生から丸三日経過。
命の危険すら感じる凄惨な現場へ移動、取材し、情報を発信しました。ドロドロになって帰宅しても、水は出ません。水の情報を探しながら「これからどうなるんだろうね」と子どもたちとボソボソと夕飯を食べ、夜にWEBにまとめました。
子どもたちは移動手段がなく、学校にも行けません(我が家は電車通学)。私は私で、続々と「仕事がキャンセル」され、不安と疲弊が積み重なります。
呉市からの有益な情報は届きません。呉市のゆるキャラ「呉氏くん」のTwitterは大人気なのですが、非常時にはキャラクターを活かしきる事が出来ず、ついには偽アカウントが出てくる始末です。我が家の優秀なネットポリス(娘たち)のパトロール報告により、いち早く鎮圧。デマも偽物も許さない覚悟でした!
怒涛の日々はそれからも続きました。
被災現場でヒアリングした声を複数のSNSで発信。それに応じてくれた「支援物資」を自ら避難所に届けもしました。困った時はお互い様。知らんぷりはできません。
とにかく、「早く!早く!早く!」。お節介でせっかちな性格が、緊急時にますます加速していきました。次第に全国からネットで心配する声が寄せられるようになり、我が家は「支援物資の受け取り窓口」にもなりました。
物資を仕分けて、直接困っている人に配る。自宅は段ボールの山に埋もれましたが、とにかくスピード感を持って届けるために、奮闘していました。連絡のやり取りはほぼ全てがTwitterやFacebook経由で、おかげで迅速に連絡を取ることができました。
いつでもどこでも繋がれるSNSの利点、ブラボーです。
進まない復旧の様子に、打ちひしがれた時も、気持ちを支えてくれたのはSNSで繋がる仲間でした。それぞれの見てきたこと、感じたことを共有し、自分たちに「出来ること」をリアルに繋げて行く。「関西のものです。何か出来ることはありませんか?」とFacebookにメッセージをくれたkenkobaさん。あちこちのライブハウスで活動する、人気のミュージシャンです。たった一通のメッセージから、大きな力をもらいました。実際に呉に来てボランティア活動をして、ライブも開催してくれました。
Twitterで繋がっていたコラムニストの神足裕司さんも、ボランティア活動で使う道具を送ってくれました。その後、東京でお会いすることも叶いました。