かつて、モディリアーニは「卑猥」と警戒されたのだった。

最初の場所では・・・その8

モディリアーニの「卑猥」に対してフジタは?

さて、話をもとに戻そう。
長々とモディリアーニのことを書いたのは、フジタと比較するためである。
モディリアーニの裸婦は、なるほど、20世紀の初めに警察沙汰を起こし、日本では下半身を雑誌の図版にすることがはばかられるほど「リアル」なところがある。
しかし、そうはいっても、アカデミズムの陰影法で「立体的」に描かれているわけでは、決してない。輪郭線で縁取られた手も足も胴体も、線の中はほぼ「単色の平塗り」で描かれているだけだ。ところが、そこには、はっきりと立体感があり、肉感性がある。つまり生々しく、卑猥でさえある。これはモディリアーニがマネから受け継いだものだ。

モディリアーニに遅れること4年、1921年から裸婦画の制作に乗り出し、瞬く間にパリ画壇を「制圧した」といっても良いフジタであるが、その裸婦画は(私がこれまで見ただけでも2~30点はあると思うが)女の美しさを「突き詰めた」絵画とはいえるが、こちらは全く猥褻ではない。
過去に、卑猥かどうか、刺激が強すぎるかどうかで、フジタの裸婦が問題になったことはおそらく一度もない。

たとえばフジタは、1929年に16年ぶりに日本に帰国し、その10月には、東京の朝日新聞本社と三越百貨店で個展を開いた。
個展での展示数は51点というが、どのような作品が展示されたかは、同じ年に朝日新聞から出版された『藤田嗣治画集』によって確認することができる。
今、私の手元にある、この「粗末な装丁」の画集を開いてみると、自画像、静物画、宗教画などが並ぶ中、あまり目立たない形で数枚の裸婦画がある。それでも、生涯の代表作となる『友情』(1924年)と『舞踏会の前』(1925年)が載っているので、これら自信作を帰国に際して持ち帰ったのだろう。

朝日新聞と三越の入場者数が、1か月足らずの期間で6万人に達したというから、1日あたり2,000人以上。大変な数の人が押し寄せたことになる。
しかし、このとき裸婦画が「顰蹙を買った」などということは、全くなかったようだ。
遡ること約30年、フジタの美術学校での師にあたる黒田清輝が、1900年に展覧会場で裸婦画を展示した時、警察の「お咎め」を食って、絵の下半分を布で覆われてしまうという事件があった。いわゆる「腰巻事件」だ。
そのころより、随分と「ヌード」に対する、一般大衆の理解は浸透していたとはいえ、そのフジタの個展から5年後、モディリアーニの裸婦画が日本に「お目見え」した時には、少なからず世間を「ざわつかせる」ことになったのは、既述のとおりである。

なぜ、フジタの裸婦画は、卑猥なものと問題とならないのか?
それをいよいよ、次稿で解明したい。

◇山下 茂(やました しげる)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
1961年広島県生まれ。東京大学文学部国文科卒。1984年NHK入局。情報番組・経済番組などのディレクターを経て、美術番組のプロデューサーに。現在、NHKエンタープライズで、美術・歴史番組の制作に当たっている。

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