かつて、モディリアーニは「卑猥」と警戒されたのだった。

最初の場所では・・・その8

日本人にも歴史的な「目利き」が存在した!

モディリアーニが、晩年、集中的に描いた裸婦画の中でも、屈指の傑作が、実は日本にある。『髪をほどいた横たわる裸婦』(1917年)だ。
これも『オランピア』にそっくりなポーズであり、マネを強く意識していたことは間違いない。そして『オランピア』が、一大騒動を巻き起こしたように、この絵が出品されたモディリアーニ生前唯一の個展も、警察沙汰になった。裸婦を描いた何枚もの絵が「猥褻」だと、会場から撤去することを命じられたのだ。

前々回紹介した190億円の値がついた『赤いヌード』も、昨年172億円で落札された『左向きに横たわる裸婦』も、このとき撤去された裸婦シリーズの中にあった。(とすれば、これらの絵と同サイズの『髪をほどいた横たわる裸婦』が、今オークションにかけられたとすると、100億円は優に超えるだろう)
もちろん、この絵にも「物語」はない。あるのは、女性の、セックスの対象としての肉体のみだ。そこに見入ろうとする男たちの視線を、画中の女が鋭く見返し、はねつけようとするところも、マネと同様である。

この「裸婦」を、一人の日本人が買った。
1923年から30年代初めまでパリに滞在し、ルオーやピカソなど当時の錚々たる画家たちと親交を結んだコレクター、福島繁太郎である(彼が戦後開いたフォルム画廊は今も銀座にあり、私もしばしば通っている)。
福島はこう書いている。「私が初めてパリに行った頃は、未だモディリアニの作品は左程高価ではなかった」(『エコール・ド・パリⅡ』)

福島は帰国後、1934年2月に東京の日劇で、その珠玉のコレクションを公開する。
当然、大きな反響を呼び、美術雑誌もこぞって取り上げることとなった。もちろん、この『髪をほどいた横たわる裸婦』も展示された。しかし、何とした事か当時の日本人には刺激が強すぎたのか、『アトリエ』や『美術』といった代表的な美術雑誌は、裸婦の下半身をカットし、上半身だけの図版を載せることになった。

福島コレクションは、彼の死後、ブリヂストン美術館や大原美術館など、さまざまな美術館が買い取っていくが、この裸婦画は、芦屋の個人が買い取り、のちに大阪市の所有になる。購入当時、大阪市は、同地出身の佐伯祐三のまとまったコレクションを遺族から寄贈され、それを中心に「近代美術館」を建設する構想を抱いていた。モディリアーニは、芦屋の個人から西武百貨店を経て、1989年(バブルの絶頂期)大阪市が19億円で買い取ることとなる。
このとき、19億円は高すぎるのではないかという議論が、市民の間で巻き起こった。
そこにはやはり、あからさまな「裸の絵」が、そんなに価値あるものなのか、という当時の人々の違和感があっただろう。

しかし、その「近代美術館」構想は頓挫してしまう。
同じバブル期に、大阪市が手を出した土地信託事業が失敗し、多額の負債を抱え込んでしまい、市の財政的に美術館どころではなくなってしまったのだ。
以来、佐伯の代表作もこの裸婦画も「大阪市立近代美術館準備室所蔵」という、奇妙な肩書をつけて、さまざまな展覧会に貸し出されていくことになる。

亡国のユダヤ民族が、欧州やアジア、アフリカに離散して行ったことを「ディアスポラ」というが、イタリア生まれのユダヤ人であるモディリアーニのこの作品も「さまよえる名画」として、あちこちで我々の眼に触れることとなった。
この間、この絵の「すばらしさ」を、声を大にして唱える者はまだ少数派で、多くの人々は、この絵の評価をめぐって、なおも戸惑っていたといってよい。

1983年の美術館建設構想から実に38年になる2021年、ついに念願の美術館が中之島にオープンすることとなった(名称「大阪中之島美術館」)。
この裸婦画も、やっとホームランドに落ち着くことになる。モディリアーニの裸婦の世界的評価の高まりを思い合わせると、ついに、この絵の真の価値が、広く理解される時がやってきたのだということかもしれない。

→日本でも、モディリアーニとフジタの卑猥性の評価は対照的だった。
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松下幸之助

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