マネからフジタへ、近代画家の「喪われた物語を描く」という責務。

ついに「絵画」における近代社会の誕生へ。
マネにとっての近代社会の「物語」とは「物語の喪失」という物語であった。
その「近代画家としての責務」というバトンを、積極的に受け取ったのがフジタだった。
NHK「日曜美術館」の製作を長年勤めた山下茂氏の旅は、フジタを読み解くための革命後のパリへ、いよいよ。
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革命後のパリで、マネが「発見」した近代社会

1955年、フジタはフランス国籍を取得し、その後日本国籍を抹消する。
この年にフジタは、戦後の代表作の一つ『ジャン・ロスタンの肖像』を描き上げ、翌年の「肖像画の復権展」に出品した。2018年秋のフジタの大回顧展にも出ていたので、目にされた人もいるだろう。

『エミール・ゾラの肖像』(1867~68)

以下、矢内みどり氏の著作『藤田嗣治とは誰か』を参照して書くが、この絵はマネの『エミール・ゾラの肖像』(1867~68)へのオマージュだという。(ゾラは自然主義の小説家。新潮文庫で今も読むことができる『居酒屋』を知っている人もいるだろう。この小説に感動したマネは、主人公ナナを描いた)

さて、こうなるとフジタの描いたジャン・ロスタンって何者?とだれでも思うだろう。
調べてみると、生物学の分野では、かなりの功績をあげた人らしい。「単為生殖」「人工排卵」「再生における低温の効果」さらに「精子の冷凍保存」を研究したという。
父親のエドモン・ロスタンの名を挙げれば「ああ!」という人もいるだろう。あの『シラノ・ド・ベルジュラック』を描いた劇作家である。ジャンについて、アマゾンで検索すると『生命 この驚くべきもの』『人の遺伝』『人間は改造されるか』『生物学の潮流』などの著作がある。フランスではかなり知られた名士であったらしい。

『ジャン・ロスタンの肖像』

この二つの肖像画を比較してみよう。
マネの『エミール・ゾラの肖像』は、大好きな日本の浮世絵や屏風、あの『オランピア』の銅版画などが飾ってある部屋で、書物を手にしたゾラが、机に向かって腰かけている。一方、フジタの『ジャン・ロスタンの肖像』の方は、いくつもの人体の骨格標本やガラス器の中に入った生物のサンプルなどに取り囲まれ、ゾラとは反対向きだが、やはり椅子に腰かけている。左上の肖像写真は父エドモンだ。そして、左手が蛙をつかみ、右手は柔らかく蛙を載せている。フジタがマネを意識していたことは明らかだ。
これだけではない。前述のフジタ展のポスターや図録の表紙にも使われた、フジタのもう一つの戦後の代表作『カフェにて』(1949年)とマネの『プラム酒』(1877年)を見ていただきたい。フジタでは左肘、マネでは右肘の違いはあるが、どちらも物思いにふける女性が肘をつき、手を頬にあてている。テーブルの上には酒の入ったグラス。どちらもパリのカフェを描いたものだ。
このほかにも1930年代に、メキシコやブラジル、日本で、フジタが描いた貧しい人々の群像(例を挙げれば『リオの人々』1932年、『孫』1938年など)には、マネの『老音楽師』を思わせるものがある。

「思い過ごしじゃないか?」と疑う人もあるだろう。
実は『ロスタン』と『ゾラ』、『カフェにて』と『プラム酒』の類似以上に、私が面白いと思うのは、フジタやマネの描いた、この貧しい人々の視線がことごとく「全く交わっていない」ことである。フジタの場合も、マネの場合もだ。
ここに「カギ」がある。視線が交錯しない世界。それこそが「近代」なのだ。

『バルコニー』

マネのもっとも有名な作品の一つ『バルコニー』(1868年)を見てほしい。
奥の部屋にコーヒーセットを持った男がいるのだが、ほとんど目立たない。バルコニーにいる3人は、互いに知り合いのはずだが、まったく「他人行儀」である。それぞれがあらぬ方を見て、凍り付いたポーズで固まっている。

ここには何の会話も、意思の疎通もない。画面は鉄の手すりと鎧戸で仕切られ、奥に部屋は見えるものの、そこは暗く空虚だ。平面的な狭いバルコニーに、横並びに置かれたマネキンのような人物たち。
この奥行きのないバルコニーこそ、パリという近代都市ではないのか?
「群衆の中の孤独」あるいは「広場の孤独」という言葉が想起される。
互いに何の関心もなく、交わす言葉も、しぐさで気持ちを通わせることもない。これが革命を経て実現した「市民社会」の現実だとマネは言おうとしているのだ。

→フジタがマネのマネをしたのは、その「近代社会」の在り方だった。
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