マネをマネしてみよう!フジタは真面目に考えた。

最初の場所では・・・その6

伝統の手法を捨てることで「物語」から脱却を目論んだマネ

まず①から解説しよう。
この稿で私が何度も「物語」という言葉を使ってきたことに、ある種の「イラ立ち」を覚えている人もいるだろう。
博報堂に勤める友人(私にも俗世の友人が、少数だが存在する)は「地域おこしとか、農業の6次産業化とかにかかわると『物語がそこにあるか?』という話がやたら出てくる」と言い、お前の言う「物語」はそれと違うのかと問われたが、もちろん「違う」。

私の言う「物語」とは「王権」にかかわる「物語(叙事詩)」のことなのだ。
神話や歴史的事件(聖書のそれも含む)など、支配者=神や王をめぐって巻き起こる「物語」であり、それによって世界の運命が変わったと信じられているもの、いや、信じさせたいもの、つまり公式なヒストリーとしてのストーリー(=「物語」)のことである。
そんなものは、世の物語のごく一部だろうと言われるかもしれないが、近代までは、それが「物語」というものの大半を占めていたのだ。

例えば、シェイクスピアである。
英国の歴史を題材にした「史劇」はもちろん、あの4大悲劇もすべて「王権」をめぐる物語だ。
「喜劇」ですら例外ではない。最後に王または支配者が出てきて「万事を丸く」収める。分かりやすい例としては、初期の悲劇である「ロミオとジュリエット」を思い出してほしい。
シェイクスピアの37の戯曲作品のうち、支配者が最後まで出てこないのは、フォルスタッフがさんざんな目にあわされる「ウィンザーの陽気な女房たち」だけではなかったか。

近代以前の「農耕社会」では、支配者に徳がないと日照りや洪水がおき、飢饉や疫病が発生する。支配者は「天」とつながっていて、その性格と行動は、自然現象にも影響を及ぼす。よって、そうした支配者を戴く人民もその「責め」を負わなければならなくなる。

民衆を導く自由の女神

これは、シェイクスピアのような文学だけの話ではなく、絵画もすべからく「神話」や「歴史」あるいは、現在の支配者の「姿(肖像)」を「主題」とすることで、世界はどのように始まり、どのような経過をたどって「現在」に至ったのか、つまり「物語」を支配者以外の「他者」に納得させるために描かれたのだ。
そうでなければ「絵」にする意味など、なかったのである。
「キオス島の虐殺」「サルダナパールの死」「民衆を導く自由の女神」「十字軍のコンスタンティノープルへの入城」・・・。これはみなルーブルにあるドラクロワの代表作だ(サルダナパールは古代アッシリアの王)。

では王のいなくなった「近代」。物語はどうなったのか。
想定では「民衆=市民」こそ物語の主役になるはずだった。しかし残念ながら、そんなことにはならなかった。そのことを最初に「告発」し、近代という時代の主役のいない物語=「空虚な自画像」を描き出したのが、マネだったのである。

「またマネか・・・」というなかれ。マネとフジタは、通常考えられている以上に「深いかかわり」がある。フジタがゴッホや印象派からではなく、マネに注目し、マネからどれだけのものをくみ取って「パリ画壇の寵児」となったか。それを「次稿」で見ていこう。

◇山下 茂(やました しげる)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
1961年広島県生まれ。東京大学文学部国文科卒。1984年NHK入局。情報番組・経済番組などのディレクターを経て、美術番組のプロデューサーに。現在、NHKエンタープライズで、美術・歴史番組の制作に当たっている。

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