斜陽の地方都市だからこそ、活きた情報発信が大切

前回は、呉エリアの地域情報を発信するオウンドメディ「KUREP」をざっと紹介しましたが、今回は「KUREP」が出来るまでの経緯のお話から。
かつて「東洋一の軍港」と呼ばれた栄光を引きずりながら、老齢化や過疎化が進み、産業も斜陽化。典型的な地方都市としての問題を抱えている広島県呉市。それでも、観光客に人気の大和ミュージアムが存在したり、「この世界の片隅に」「孤狼の血」など映画のロケ地に選ばれたり、古き良き昭和な街並み残っていたり、思わず「へぇ」という物語のあるB級グルメなど、ちょっとした「話題」は、たくさんある町です。
しかし、市民にも観光客にも「情報源」となるものは、約30年前にできたタウン誌と行政が発行する印刷物、有力地元紙の『中国新聞』しかありません。ネットに上がる情報も、それに準ずるものがメインで、新しい動きは長いあいだありませんでした。今やネットでありとあらゆる情報が入手できる時代に、自分自身も雑誌や新聞に記事を書いて生計を立ててきた(娘二人のシングルマザーです!)ものの、せっかくの「情報」が、紙媒体やメディアに載るまでのタイムラグや、紙という物理的な「形」に入れることで、自由度が乏しくなっていることに「違和感」を感じていました。
「せっかく地元にいるのだし、これまでの情報のデータストックで呉のために何か出来ることはないかな?」と、閃いては消えるアイディアをメモしながら、悶々と悩む日が続きました。どんな形であれ、メディアを運営したり、取材をしてコンテンツを作るには、資金も時間も必要です。
「資金はどうするの?事業として成り立つの?」。
新しいメディアを立ち上げるアイディア(妄想)を相談した人たちからは、心配する声がほとんどでした。
元手は「やる気」だけのスタートも、デジタルなら可能
広告モデルでの運営、企業や学校、行政とのタイアップなども考えましたが、やはり難航しました。行政からは「可哀想だけど、出す仕事は無いよ」と、まさに一蹴!民間企業にも、あの手この手のアプローチを試みても、あまり良い感触がない日々の中で、私の結論・・・「まぁ、生きてるだけで丸儲けだし。やってみなけりゃわからない」でした(笑)。
返せる範囲の金額なら「かき集めて」でも、自分で出す方が気楽だし「言いたいことが自由に言える」スタイルを優先する方が良いじゃん。小回りが効いてハードルを低く始められるのがネットやSNSの良さだもの、と自分を納得させたわけです。
メディアを運営するための取材や記事作りといったコンテンツ制作は、長年ライターをしてきたので、もちろん得意とするところです。お店の方や町の顔役との「信頼関係」があるので「街の動き」が、それとなく入って来る環境をフル活用すれば、ネタには不自由しません。地元の情報をキャッチアップし、素早くTwitterやFacebook、InstagramのSNSアカウントで発信しよう。できる範囲で走ってみようか。
開始当初は、全く追い風の吹かない状況がしばらく続きましたが、止めようと思ったことがないのは、今考えると不思議です。
とにもかくにも、こんな無謀と手作り感満載の状況でしたが、地方ならではの情報をスピード感を持って発信し、複数のSNSを連携させた地域の新しいオウンドメディア『KUREP』は、立ち上がりました。