伝統の手法を捨てることで「物語」から脱却を目論んだマネ
オルセーでこの絵の前に立った人なら分かると思う。
よく見ると、少女の肉体を縁取る輪郭線は、実に雄弁にその立体感を感じさせる。また、陰影のない体の各部分は、その微妙な色遣いの変化によって「眼で触る」かのように、肉の起伏や皮膚の張りを「実感」させるのだ。
読者は問うだろう。伝統技法の放棄、それがマネの「革命」の中身か?と。
そうではない。革命の核心はその奥にある。伝統技法を放棄することによって、マネが実践しようとしたものだ。それこそ、「近代」とは何か?という命題、「絵画」とは何か?という命題への挑戦だった。

遠近法をテーマとしてきた本稿との関連で言い直せば、もう、絵画に「物語」は必要ないということだ。
いつ、どこで、何が起こったかを説明するのが「絵画」ではない。
そのことを実証するために、マネは「オランピア」を描いていたのだ。
まとめとして、吉田秀和さんが「マネ頌」で引用している、ドイツの美術史家クルト・バウホの言葉を孫引きさせてもらう。
「マネは物語らない。マネは目に映るものを発見するが、事柄はそこで完全に終結する。こうして、裸の娼婦を描いた『オランピア』が、19世紀を通じて最も高名な絵画になるにいたったのだ」
では、「物語」とは何か?なぜ、これまで絵画に「物語」が必要だったのか?
そうして、近代という時代はなぜ「物語」を捨てたのか?
あるいは「物語」に捨てられたのか?
フジタを見ながら、次稿で解き明かしたい。
◇山下 茂(やました しげる)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
1961年広島県生まれ。東京大学文学部国文科卒。1984年NHK入局。情報番組・経済番組などのディレクターを経て、美術番組のプロデューサーに。現在、NHKエンタープライズで、美術・歴史番組の制作に当たっている。