日本で携帯電話が急速に普及した2000年前後では、携帯端末が「0円」で販売されることも珍しくありませんでした。実はこれは、日本に限ったことなのです。iPhoneの最新機種が15万円以上もする現在では信じられませんが、このビジネスモデルはなぜ日本で通用したのでしょうか?(携帯電話研究家 山根康宏)
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世界がうらやむ日本の「0円」携帯
日本の携帯電話市場に大きなターニングポイントを与えたのが1995年に登場したPHSでした。コードレス電話のシステムの延長といえるPHSは、電波強度は弱いものの、端末の価格は安く、また料金も携帯電話より安価でした。流行に敏感な若い世代を中心にPHSはブームになり、端末の種類も増えていきました。
97年にはPHSと携帯電話でデータ通信サービスが始まり、メールの送受信ができるようになりました。海外ではメールではなくSMSが普及したため、携帯電話同士でしかメッセージのやり取りはできませんでしたが、日本の携帯電話・PHSはパソコンとのメールのやり取りも可能になったのです。これにより携帯電話への情報発信や広告配信などが可能になり、携帯電話は「通話のツール」から「情報端末」へと進化していきました。
99年にはドコモが「iモード」を開始し、コンテンツやゲーム配信も提供。携帯電話は高度な情報ツールに進化します。また、DDIポケット(現Y!mobile)からは、京セラ製の世界初となるカメラ付き携帯電話が登場。写真を撮って相手に送ることも可能になりました。2001年には、より高速な3Gサービスが始まり、日本の携帯電話は画面のカラー化や大型化が進んでいきます。これで、2000年代前半の日本の携帯電話は世界で最も進んだものとなりました。
iモードで日本の携帯電話は世界で最も優れた情報端末になった
日本では携帯電話事業者が端末を安価に販売しつつ、コンテンツサービスなどで利益を後から回収するというビジネスモデルがしっかりと確立されました。したがって、「0円ケータイ」として端末をタダで配っても、毎月の利用料金で回収することが可能だったのです。
2000年に入ると海外でも携帯電話のカラーディスプレイ化やカメラの搭載が進みましたが、日本ほど高度なサービスは生まれませんでした。海外では事業者に体力がなかったため、一括して高性能な端末を開発してユーザーに提供し、コンテンツ・サービスなどで後から回収するビジネスモデルは組めなかったのです。
また、端末を無料同然で配って利益を後から回収する日本のビジネスモデルは、携帯電話の所有が個人の間で一般化することが前提で成り立ちます。したがって、平均所得がある程度高い国でなくては導入は難しいものでした。実は、iモードは海外進出も図ったのですが、日本以外の国で成功することはありませんでした。