1984年にカナダのケベック州で設立された「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、あることをきっかけに全世界で広く上演されるようになった。
ちょっと物悲しくて、だけど夢にあふれる、ブルーオーシャン論文の研究事例にもなった〝新サーカス〟の発展をサポートしたのは、街全体がIR(Integrated Resort=統合型リゾート)だと言える、エンターテインメント・シティ、そう、ラスベガスだ。
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「太陽のサーカス」
1984年はフランスの探検家、ジャック・カルティエがカナダを発見してから450年に当たる年。
そのお祝いの会場で繰り広げられていたパフォーマンスに、大道芸人だったギー・ラリベルテは目を奪われた。
「これはCirque du Soleil(太陽のサーカス)だ。太陽は若さとエネルギー、そして力の象徴だろ」
ラリベルテは、このエンターテインメント集団をまとめ、アメリカツアーをスタートさせる。
1990年代初めには、パリ、ロンドン公演も成功。
そして、画期的な出来事が1993年に起きる。
ラスベガスのホテル「トレジャーアイランド」(現TI)が、この集団を招致したのだ。『ミスティア』と名付けられた新演目が、初めてのレジデントショー(常設公演)として上演されることになったのだ。
IRのお手本
それまで観たとこもなかった前衛的なサーカスに、多くの人が足を運ぶようになる。
カジノで遊びたいお父さんが、家族連れでラスベガスを訪れる口実にもなったことだろう。
カジノとそれを取り巻く施設との「相乗効果」で、グーンと上がる集客力。IRのお手本がここに出来上がった。
1993年スタートだから、25年経った今も続くロングラン。
「シルクの神髄、ここにあり」と言うファンも多く、ハイレベルなパフォーマンスがブラッシュアップされ、マイナーチェンジを繰り返しながら、今もなお、まだまだ進化し続けている。
シルクのマイルストーンになった『ミスティア』が、終演を迎える日なんて想像がつかないが、もし、まだ観たことのない人が次にラスベガスに行く機会があれば、早く観るに越したことはない。
開演以降、ラスベガスの多くのホテルに拡がっていった「常設公演」というイベントの形態は、すべて『ミスティア』が原点になっているのだから。