16世紀フィレンツェで描かれた一枚の「ヴィーナス」に隠された、格調高い「貴族趣味の欺瞞」。
その欺瞞に端を発する「西洋文化」と、次世代の画家たちは如何に格闘したのか?
NHK「日曜美術館」の製作を長年勤めた、山下茂氏の思索の旅は続きます。
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西洋絵画における「ヴィーナス」の系譜
まず、この3枚の絵をご覧いただきたい。16世紀、19世紀、20世紀をそれぞれ代表する裸婦像だ。
(17世紀ではヴェラスケスの「鏡のヴィーナス」を挙げるべきだろうが、今回は除外する)
①はティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538年頃)。ヴェネチア派の巨匠、ティツィアーノの会心作だ。ヴェネチアはルネサンス後期、フィレンツェから絵画の「覇権」を奪った。ティツィアーノはその代表選手で、成熟した女性像を描かせたら右に出る者はない。制作から450年以上になるが、結局、ヴェラスケスもアングルもこの裸体像の「塁を磨する」ことはできなかった。
②はエドゥアール・マネの「オランピア」(1863年)。印象派の父といわれるマネの、サロン(官展)初入選作にして、一大スキャンダルを巻き起こした問題作だ。
そして③が藤田嗣治の「裸婦」(1927年)。白人女性の肌の「素晴らしい乳白色」を描いて、パリの人々を瞠目させたフジタの代表作である。
どの絵も、全裸の女性が部屋の中で「右を下にしてこちら向きに」ベッドに横たわっている。この3枚、実は③が②の、②が①の、それぞれパロディあるいは「本歌取り」という関係になっているのだ。
しかし大事なのは、似ているところではない。「違うところ」だ。
では、どこが違うのか?「間違い探し」をしてみよう。
まず、①と②では「ベッドの上の動物」が違う。
西洋絵画では「無駄なものは描かれない」とすれば、これらの「ベットの上の動物」には、やはり作者の「何らかの意図」があるはずだ。ティツィアーノは犬、マネは黒猫。西洋絵画の「約束」である「寓意」で読み解くと「犬」は「従順・服従」あるいは「貞節」。
「従順・服従」の意味に解すれば「あなたのどんな(破廉恥な)要求にも、喜んでこたえます」ということになる。「貞節」の場合は、犬が眠りこけているところから「貞節の放棄」ということになる。
一方のマネの「黒猫」は「本能」をあらわす。
尾を立て四肢をいっぱいに伸ばして「威嚇」しているポーズは、「本能をむき出しにしていらっしゃい」という女の側からのメッセージとも、女の目の前にいるであろう男の、すでに屹立したペニスを象徴しているとも受け取れる。
さらに、部屋の大きさがかなり違うようだ。
ティツィアーノの作品は、画面の左はカーテンで仕切られているが、右半分は奥の部屋が描かれ、窓からは外の様子まで見える。マネの方は、ベッドだけがある、あえていえばセックスのための部屋か、売春宿の一室か。あるいは娼婦の自室=仕事部屋か。
奥行きの違いは、召使いの位置からも見て取れる。ティツィアーノの方は、奥の部屋にいて、もう一人の下女にタンスの中の衣装を探らせている。裸体のヴィーナスが着る服を用意しているのだろうか。一方、マネの方の召使は、花束を持ち「お客様からの贈り物ですよ」と言わんばかりに、ベッドのすぐそばに立っている。ただし、オランピア(=売春婦の典型的な源氏名)は、その「花束」を見向きもしない。