【小泉純一郎】「原発推進派」から180度態度を変えた本当の理由

小泉純一郎元首相特別インタビュー③

政治の舞台から退いた小泉純一郎元首相は、2011年の東日本大震災を機に、「反原発」運動に尽力している。首相時代には原発推進派だった小泉は、なぜ180度主張を変えたのだろうか。(敬称略、Soysauce Magazine Online編集部)

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小泉元首相 インタビュー

原発反対派に回った理由

小泉は現在、原発ゼロに向けた活動を各地で行っている。インタビュー中盤には、話題は自然とエネルギー政策に向かっていった。日本の未来を語る上では避けては通れない難題だ。

「私が国会議員に初めて当選したのが昭和47年。翌年に中東戦争が勃発して、石油ショックが起きた。物価が上がり、みんな生活必需品を買い占めた。当時の日本のエネルギーは、石油に対する依存度が70%を超えていた。その値段が一挙に4、5倍に上がったものだから、あらゆる製品が値上がりした。これではいけないというので、省エネ対策が進んだ。40年経って、70%以上だった石油に対する依存度は40%にまで下がった。日本はピンチをチャンスに変えた。それができたのは、原発のお陰だった。原発は安全で、コストが安く、二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーだと言われていた。しかし、これは全部嘘だとわかった」

2011年3月11日。東日本大震災、そして東京電力福島第一原発事故の発生により、原発の‶神話性″は音を立てて崩壊した。原発は今、存在そのものが問われるようになり、首相時代に推進派だった小泉も立場を逆転させた。

「経済界では『原発ゼロ』なんて言っても、無責任だと言われる。福島第一原発事故以前は、日本には54基の原発があって、この国の重要なエネルギー源だった。風力や水力などの自然エネルギーは極めて少なかった。だから、原発を止めると国民生活はできない、停電が起こると言われた。しかし、この7年、ほとんど原発が動いていないにもかかわらず、北海道から九州まで、日本は停電にならない。つまり電力が余っているんです」

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