「自民党をぶっ壊す」を筆頭に、単純明快なキャッチフレーズで大衆から圧倒的な支持を受けた小泉純一郎元首相。約6年半に及ぶ長期政権の中では、数々の「名言」を生み出した。2005年の「郵政解散」では「国民に信を問う」として、一世一代の大勝負に打って出た。(敬称略、Soysauce Magazine Online編集部)
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国民に託した乾坤一擲の大勝負
不安定な政権運営が国民の政治離れを生み、日本の国際的な発言力の低下につながったという指摘は多い。そんな混沌とした現代に現れたのが、「自民党をぶっ壊す」というセンセーショナルなフレーズで大衆の人気を集めた小泉だった。
2001年の総裁選を制して第87代内閣総理大臣に就任すると、戦後1位の内閣支持率を記録。単純明快なキャッチフレーズを打ち出し、マスコミを通じて広く大衆の支持を集める劇場型政治で「小泉旋風」を巻き起こした。一方で、自らの政策には芯を貫き、「聖域なき構造改革」に代表される新自由主義政策を推し進めた。その象徴が、05年の「郵政解散」だ。郵政民営化法案が参議院で否決されると、「郵政民営化に賛成か反対かを国民に問う」として衆議院の解散に踏み切る荒業に打って出た。
「総理になる前から、郵政三事業(郵便、簡易保険、郵便貯金)の民営化を掲げた。しかし自民党も野党も、民営化には全政党が反対だった。(05年には)衆議院で辛うじて賛成が多かったけど、参議院に移ってからは自民党内から反乱も出て廃案になった。普通はこれで諦める。ところが私は『国民に聞いてみよう』と言って、衆議院を解散した。周りの人からは、『何馬鹿なことやるんだ』と言われた。衆議院を解散しても、参議院は解散しないんだからね。参議院からは『何度でも否決してやる』と言われていた。それでも『国民が反対だったら仕方ない』と割り切って、解散に踏み切った。すると、圧倒的多数が支持してくれた。それを見て、反対の人たちもくるっと(態度が)変わったんだ。あのときは本当に一か八か。負けたら退陣だった。まさに起死回生、乾坤一擲という解散だった」