「平成」が間もなく終わりを迎える。2001年から5年半にわたり日本のリーダーとして君臨した小泉純一郎にとって、この激動の30年間はどのような意味を持つのか。そして「ポスト平成」の新時代を生きる者に求められるのはどのようなことか。平成史を振り返るにふさわしい稀代のカリスマ政治家の独占インタビューをお届けする。(敬称略、Soysauce Magazine Online編集部)
出典説明は「平成」のみ
都内某所。取材開始予定時刻より30分も早く、グレーのスーツに身を包んだ小泉がインタビュー会場に姿を見せた。トレードマークの「ライオンヘアー」こそ真っ白に染まっていたが、鋭い目つきは変わらない。全身から放つ圧倒的な「オーラ」に衰えは微塵も感じさせなかった。「よろしく」と握る手には力がこもっていた。
企画趣旨の説明を受けた小泉は開口一番、「私には印象深いものがあるんだ」と「平成」の思い出を語り始めた。
「初めて厚生大臣(現厚生労働相)に就任したのが昭和63年12月27日。昭和天皇がご病気中でね。初めての(大臣)就任の認証式は、当時皇太子殿下であった、平成(今上)天皇がご臨席された。そして、『正月休みは1時間以内に官邸に来られるような場所でお過ごしください』と言われた。翌年1月7日朝、『陛下がご危篤です。すぐに官邸にお越しください』と電話が入ったんだ」
間もなく、昭和天皇崩御の知らせが届いた。すぐに有識者らによる新元号制定の会議が始まった。だが、我々が想像するような‶議論″とはならなかったようだ。
「(新元号の)候補が三つあって、一つが『修文(しゅうぶん)』。もう一つは『正化(せいか)』。そして三つ目が『平成』だった。その『平成』の時にだけ、出典の説明があったんだ。『内平かに外成る。地平かに天成る』という中国の古典の引用だった。それで竹下総理(当時)の顔を見たら、頷くんだよ。竹下さんが頷くと、他のみんなも頷いた。それでいて、誰も一言も発しない。(進行係が)『これでよろしいでしょうか』と言うと、みんな頷いた。異論は何も出ないし質問も何もなし。不思議な光景だったな」
当時官房長官だった小渕恵三が「平成」の二文字を墨書きした台紙を示す姿は、平成時代幕開けの象徴的なシーンだ。柔和なイメージの新元号に、国民は穏やかで、平和な日本の未来を重ねた。しかし、現実はイメージとは程遠かった。
「『平成』。穏やかな年代になるような、そういう意味を込めた元号だと思っている。でも考えてみると、30年で色んな事件や災害があった。阪神大震災に新潟の二つの地震、東日本大震災。(オウム真理教による一連の)サリン事件もあった。世界で見れば、米国の同時多発テロ事件にイラク戦争もあった。多事多難な『平成』だったな」
国民に混乱を及ぼす大事件や大災害が、国内外で頻発した平成時代。政界を取り巻く環境もまた、ジェットコースターのごとく目まぐるしく変わった。
「平成になって、私と安倍(晋三)さん以外の総理大臣は、ほとんどが1、2年で代わってしまった。変化の激しい時代だった。『平成』という文字のように、穏やかな年代ではなかったね」