破壊すべき「西洋」を求めて À la recherche de valeurs occidentales à détruire

最初の場所では・・・その3

19世紀に完成する西洋美術の第一義のテーゼとは?

ところで、この通称「大ガラス」、デュシャン自身が付けたタイトルは「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」である。まったく、これほどチンプンカンプンな表題もない。
念のため英語の表記を記すと“The Bride Stripped Bare by Her bachelors, Even “
この作品が制作されたのが1915年~1923年(駒場のレプリカは1980年完成)。以後、このタイトルと、そこに表現されたものをめぐって、世界の美術界は何十年も侃々諤々の議論を展開することになる。

この作品の最大の問題性は(私見だが)、透明なガラスの板に「それ」が表現されていることである。ここで「それ(花嫁と独身者たち、そのほか)」について深入りすることはやめておくが、つまり「それ」は背景を持たず、空中に宙吊りになっている。これこそが西洋美術の伝統に対する、デュシャンの痛烈きわまる「嘲笑」だった。

絵画は、背景が描かれていなければならない。
どのような場所で、どのような光、あるいは影のもとで「何が起こっているか」を説明するものでなければならない。これが(おそらく13世紀から)西洋美術を支えてきた第一義のテーゼである。

小説の世界でジェイムス・ジョイスが(「フィネガンス・ウェイク」)、演劇の世界でサミュエル・ベケットが(「ゴドーを待ちながら」)、詩の世界でアンドレ・ブルトンが(「溶ける魚」)、音楽の世界でジョン・ケージが(「4分33秒」)、そしてもちろん、視覚芸術でデュシャンがやったことは、19世紀に完成した西洋の芸術というものを解体・破壊しつくすことだった。

そのことに欧米の人々は衝撃を受け「これこそ新しい!」と、叫ばざるを得なかったのだが、それは反面、彼ら(デュシャン・ジョイス・ケージ・・・)が、破壊する対象(西洋の芸術理念)を十分すぎるほどよく知り、鑑賞する一般の人々も、それを血肉のようにわがものとしていたからこそ、その破壊作業は“大事件”なのだった。

そこに、極東の我々との距離がある。
「破壊者たち」のことを「流行」としては知っているが、何がすごいのか、どこが偉いのか分からない。
そもそも西洋美術のテーゼを「切実なもの」として受け止めたことがないのだ。その「距離感」について書くことこそ本稿の目的なのだが、私は、これからデュシャンの解体作業に入ろうとして、少なからず躊躇する。相手が難物すぎて、それ相応の覚悟がいるのだ。

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