一流私大の経済学部を出た若者は、一人息子でもあったため実家のある北信越地方に戻り、地元の有力地方銀行に入行した。しかし入行5年目、彼は退職を決断した。なぜ辞めたのか?話を聞くと、そこには地銀が抱える根本的な負の構造とそれを解消できない経営陣の混沌が見えてくる。(Soysauce Magazine Online編集部)
私は先日、生まれ育った地元の地方銀行を退職しました。なぜ地銀を離れるに至ったか、私が現場で感じた問題点を、実例を挙げてお伝えしたいと思います。
地銀は名ばかり、目指すは「都市圏」
私が地方銀行を退職したのは、地方が軽視されている現状と、それを改善できないまま手をこまねいている銀行への不信感が原因です。
地方銀行といえば、地元に密着した金融機関であり、地方経済を支える大黒柱です。都市圏を離れた地方には、いわゆるメガバンクの支店はほぼなく、地方銀行と信用金庫等しか選択肢がありません。当然に融資取引も地銀に集約され、地元では強固な取引基盤が築かれています。しかし、現在の地銀の経営方針は、「地方銀行」の存在意義そのものに逆行しているものに思われます。
現在、多くの地銀が掲げる方針は「都市圏への進出」です。私の勤務していた地銀も多分に漏れず、東京への進出に人的、資金的なリソースを割いています。私が勤務していた5年ほどの間でも、県内店舗は5~6店舗が閉鎖される一方、都内には3~4店舗が新設されました。20~40代の働き手は次々と都内店舗へ配属されている状況です。
県内支店の営業人員は半減
都内店舗への傾斜は、確かに必然ではあります。地方では人口減少が急激に進み、経営者の高齢化も大きな問題です。取引先は件数、規模ともに減少傾向にあり、地銀の貸出利息も減収の一途をたどっています。「どこで儲けるんだ!」という視点に立てば、人口が集中し、パイも大きい都内への進出は不可避であったとも言えるでしょう。実際、地銀内でも、「県内店舗の食い扶持は都内店舗が稼いでいる」という雰囲気が蔓延しています。お荷物である「地元」を捨てて、稼げる「都市圏」で戦う。一企業の経営方針の一つとしては間違っていませんが、「地方銀行」の在り方としては歪と言わざるを得ません。そして、その反動は、確実に地銀全体をむしばんでいます。
私が勤務していた県内支店では、ここ数年で融資営業の担当人員が半分まで減少しました。支店の人数自体が減っていることに加え、金融商品を扱う個人営業担当者が増えていることが原因です。いくら減少基調とはいえ、数年では顧客数に大きな変化はありませんから、一人当たりの負担が倍増している状況です。人数を増やした個人営業部門においても、高い手数料等が足かせとなって、満足な成果が挙げられていません。
若手への指導も疎かになり、銀行の能力はますます低下する
そんな中、金融庁が示すガイドラインでは、地域顧客との深度のある対話が求められています。より深く顧客を理解するためには、当然財務情報を読み取るスキルも必要になります。残業等の時間管理が厳しくなる中、倍増した担当先と今まで以上に深く面談し、同時に高度なスキルを身につける。労働時間を確保するか、人員を増加して負担を軽減するか、はたまたスキルの低い人員を削って組織のスリム化を図るか。現実問題として何かしらの犠牲を必要とする中、地方銀行は決断を先送りにしています。
そんな状況下では、若手への指導も疎かになります。私が入行した当初と現在では、指導いただく時間が大きく減った実感がありますし、指導を行う時間が取れないという声は実際に多く上がっています。銀行業務には経験によって得られるスキルも多く、現状が続くようであれば、いずれ銀行全体の能力低下を招くことは想像に難くありません。