大欲と小欲。私欲という「小欲」をなくしても、モチベーションエンジンである欲をなくさないための「大欲」。
前回、上に立てばたつほど「私欲」をなくすとともに「謙虚さ」というものも大事だということを、お話しました。「謙虚さ」というと一般には「控えめ」ということになりますので「謙虚」という言葉よりも「人のためにどう動くか」という平たい表現の方が、上の立場の人のとるべき行動として、よく言い表しているかもしれません。
社長にとっての「大欲」の持ち方
そういう意味では、上に立つ人間の「謙虚さ」と言うのは、空海さんの言う「大欲」に近いわけです。この「謙虚さ」というか「人のためにどう動くか」ということですが、社長になるまでは、単純にとことん「謙虚さ」と「人のためにどう動くか」ということだけを「努力」し続ければよかったのですが、いざ、上の立場のさらに上の立場である「社長」になってみると「謙虚さ」と「人のために動き」続けるだけでは、だめなのだとわかりました。
お客さんのところにいって、競合先がいて、その競合先のために変に「謙虚さ」を出して「どうぞ、ここの仕事を取っていってください、私はいいですから」なんて言えないことに、気が付きました。(気づくのが遅い!)
そんなときに「謙虚さ」「人のために動く」ということと「人と競う」ということが、どう共存していて、どう「その意味」を理解していけば良いのかということが、もう一つの「悩み」というか「謎」というかに、なってきました。自分が確信をもって、社長としていろんなことに努力していくうえで、この矛盾を解決するための「心の根っこ」に持っておくべき「掟」を探し続けていました。
この「謎」というか「悩み」を解決してくれたのは、安岡正篤さんでした。
評判はとにもかくにも「安岡正篤」から学ぶ
ウィキペディアとかで「安岡正篤」と調べたら、少し政治の黒幕というかフィクサーのようなイメージで書かれている感じなのですが、実は「陽明学」を基礎とした東洋思想の思想家であり、真偽のほどはさておき、平成の年号を考えたと言われる人であり、沖縄の日本返還に際して、佐藤栄作首相にケネディ大統領との交渉のシナリオを授けた人です。
昭和天皇の終戦の「玉音放送」の原稿作成に協力するなど、皇室にも強いパイプを持ち、終戦当時の財界人、保守政治家、右翼活動家にも交友があったので、黒幕的な印象を持っている人もいるのですが、私の見立てでは、今でも考慮に値する立派な思想家であり、日本のことを本当に「よく考えていた人」だと思っています。
この安岡正篤の書籍を教えてくれた人は、いわゆる右翼の人で「私が引退した後は、わしの活動を引き継いでくれ、谷口君」といった人です。
残念ながら、そう言われた私の思想は「右翼」というほどのことはなく、自称「真ん中の人間」ですので、そこのところは誤解無きように、よろしくお願いします。
ただ、いろいろな「ご縁」で出会った、その右翼の方に「これから人の上に立つのであれば、これを読みなさい」と『人物を修める』という安岡正篤の書籍を一冊渡されたのが、私にとって安岡思想との出会いでした。
その書籍に書いてあったことで、私にとって社長になってからの「悩み」というか「謎」であった「謙虚さ」や「人のために動く」ということと「人と競う」ということの両立ということの「深い霧」が一気に晴れて、見渡す限りの青空になったのです。
その答えとは「酸とアルカリ」。