【machimori代表 市来広一郎】なぜ熱海を復活させることができたのか?

「熱海」といえば、海水浴客や温泉客で賑わう観光地を想像する人が多いだろう。しかし、地方にある多くの観光地が集客に苦しむように、熱海もバブル崩壊を期に観光客が離れ、衰退の一途を辿っていた。そんな地元の窮状に危機感を覚え、立ち上がったのが元コンサルティング会社員の市来広一郎氏だ。11年前にUターンして熱海の再生を手掛けている39歳が語る熱海復活のキーワードは、「民間主導」の四文字だ。(Soysauce Magazine Online編集部)

「macimori」のビジネスとは?

お盆休み真っ只中の8月中旬。熱海サンビーチからほど近い「熱海銀座商店街」の一角に、若い男女の行列ができていた。昭和の雰囲気が色濃く残る商店街の中ほどで、ひときわ目立つその店は、熱海名物の鮮魚や干物が揃う魚屋でも名産品が手に入る土産店でもない。やや古びた建物に淡いブルーの看板がよく映える、ジェラート専門店だ。東京の人気イタリアンのオーナーが、2017年にジェラート専門店の展開先として選んだのが、ここ熱海だった。

熱海銀座商店街には他にも、プリン専門店やイタリアンバール、ゲストハウスなど古い空き家をリフォームしたオシャレな店が所々に姿を見せる。これらのテナントを管理したり、リフォームを手掛けたりしているのが、市来代表が11年に設立したまちづくり会社「machimori」だ。同社は空き家や空きビルをリノベーションし、商店街全体の活性化を目指すプロジェクトを進めている。

「ここ3、4年くらいで若い観光客が増え、熱海の雰囲気はガラッと変わりました。これは熱海に住む誰もが感じていることだと思います」。同社の市来代表は今、熱海の再生に確かな手応えを感じている。

3分の1がシャッター街!熱海再生を始めたきっかけ

都心からほど近い温泉地として栄えた熱海は、高度経済成長期に盛んだった団体旅行や企業の慰安旅行が激減し、収入源だった企業の保養所が相次いで閉鎖したことに伴い、観光客不足に悩むようになった。1960年代半ばには530万人だった旅館やホテルの宿泊客数は、2011年には246万人と半分以下にまで減少。通りは徐々に元気をなくし、いわゆるシャッター街となっていった。熱海銀座商店街も例外ではなく、一時期は30店舗中10店舗が空き家になるという非常事態だった。

住民ですら熱海に魅力を見いだせず、観光客に名所を聞かれても「熱海には何もないよ」と答えてしまうのが当たり前になるほどの危機的な状況。「このままでは熱海の街が滅びる」。大学在学中から関東で暮らしていた市来代表は、寂れていく故郷に危機感を抱き、07年に都内のコンサルティング会社を退社。熱海に戻って街の再生を手掛けることを決意した。

市来代表は手始めに、地域に根ざした情報を発信するWEBサイトの運営を始め、地元の人への取材活動で熱海の課題と魅力をピックアップしていった。使われていない農地を再生する団体を設立したり、地元の人が地元を楽しむためのツアーを企画したりと、熱海の魅力をまずは住民に伝える活動で、住民の意識改革を促した。

11年の東日本大震災などをきっかけに、「税金に頼るのではなく、”自ら稼ぐ”まちづくりが必要だ」と考え、同年machimoriを設立。行政やNPOではなく、民間主導によるまちづくりをスタートさせた。

地方創生は「民間」がやるべき理由➡

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