「経営の神様」の異名で知られる松下幸之助が94年の生涯に幕を閉じたのは平成元年4月。今年でちょうど没後30年を迎えた。平成の企業史を辿ることはつまり、松下亡き後の時代を振り返ることと丸ごと重なる。間もなく元号が変わる今こそ、大巨人の生き様から成功へのヒントを見出すことが必要なのではないだろうか。このコーナーでは、松下の側近として23年間仕え、数々の著書や講演などで松下経営の真髄を伝えている‶松下哲学の伝道者″江口克彦氏の言葉から、ポスト平成の新時代でも通用する経営テクニックをお伝えする。
「天下国家志向」の昭和経営
松下幸之助さんが亡くなって30年になりますが、実は私は一回もお墓参りに行ったことがありません。私の中ではなお、松下幸之助さんは生きているからです。PHP総合研究所の社長をやっていた時はもちろん、「松下経営の伝道者」として活動している今でも、「松下幸之助さんならどうするか」と松下さんに問うて自分で答えを出している。自問自答ならぬ「松問自答」の毎日です。今は生前の松下さんを知っている人がだいぶ少なくなってきましたが、松下さんの経営哲学から学ぼうという人がいる限り、松下さんは死んでいない、なお生きていると思っています。
戦後の日本の企業経営を見ると、昭和の経営と平成の経営とでは典型的に変わってきているポイントがあります。それが「天下国家志向」です。
第二次世界大戦に負けた日本は焼け野原になり、国民は塗炭の苦しみを味わいました。そんな状況にあって、昭和の経営者や政治家、官僚といった日本のリーダーには、「日本の国をなんとかしなければならない」「国民の生活レベルを上げなければならない」という思いがありました。経営者だけで言えば、ソニーの盛田昭夫さんや井深大さん、ホンダの本田宗一郎さん、もちろん松下幸之助さんもそうです。見るに忍びない当時の現状を、「自分たちの仕事、事業を通して立て直したい」という思いがありました。そこには自分の事業の成功、あるいは自分の会社の発展ということと同時に、「国家国民」というものがあったわけです。
「日本国のために」とか、「日本国民のために」という気持ちがあった。昭和の経営者にはこうした一つの大きな志があったために、「自分だけが儲かればいい」というような考え方はそれほど強くなかったということが言えると思います。
富豪を目指す平成経営
ところが平成になると、国が発展をし、国民の生活が豊かになった。したがって「国家国民」や「社会」を考えることがほとんどなくなって、「自分の資産はいくらある」とか、「世界の富豪ランキングに載る」とか、「六本木ヒルズの高層マンションに住む」といったことを目指す、あるいは競い合う風潮が生まれた。
「天下国家」を頭の片隅に置きながら経営をしていた昭和の経営者と違って、平成の経営者はただひたすらに自分の事業を自分のために大きくし、有名になって、金持ちになって、いいところに住む、ということを目指すようになった。今でも昭和の経営者的な気質というか、心を残しているのは稲盛和夫さんくらいでしょうか。